VOICE

FESTIVAL de FRUE 2022についてのレポート - Yoshimasa Ushida

沈黙は美しい。いつもなら存在しなかったことにされてしまうはずの、幽かな、空気の震えが、わたしの鼓膜に触れ、わたしの意識に触れ、そのもっと深いところで、あるたしかな感覚が〈ふるう〉。官能がある。器官が能(あた)う。わたしの呼吸する音がきこえる。わたしの鼓動にふれている。世界がわたしに語りかける。

きみはここで、息をしている。いま、生に満ちて(“Full of Life, Now“)

FESTIVAL de FRUE 2022は、侮蔑と冷笑の、この息のつまる時代にあって、こうした沈黙、息つぎ、あらゆる些細なもののための余白をひらいていた。そこで、カラフルなひとびとが、みずからの肉体の内側にむかって勁(つよ)く、伸縮を繰り返しながら、それぞれの踊りを踊っていた。

0.原体験––––FESTIVAL FRUEZINHO 2022

(これから2022年11月5日、6日に開催されたFESTIVAL deFRUE 2022についてのレポートを書く。あの二日のことを、ぽつぽつと断片的に書き溜めてはいたのだけれど、とんでもなく遅れて、結局、かたちをとるのに一年かかってしまった。この遅延はもっぱら私のものぐさによるものなのだけれど、少し言い訳をさせてもらえるのなら、あの体験の強度はやはり安易に言葉になるものでは到底なく、インスタントに消費できるようなものではなおさらなく、それを言葉にするために咀嚼と消化の時間が必要だった。だから、これから書かれるのは、時を経て結晶した記憶だろう––––といって、それがあの体験の強度を少しでも伝えられるか心もとないのだけれど。だから、極めて個人的なことばになるし、音を聴きながら私がたどった思考––––あるいは空想、あるいは妄想––––も、入り込むだろう)。

小見出し(どこでも自由に入れれます)

FRUEの原体験についての記述からはじめよう。
昨年のFRUEよりさらに半年前、2022年6月26日にFESTIVALFRUEZINHOで体験したSam Gendel & SamWilkesのライブのあと、インスタグラムのストーリーにこんな文章を書いた(後日すこし加筆修正してある。ちなみにこの日のサム・ウィルクスのプレイが素晴らしすぎて私はベース・ギターを買い、その後バンドを結成してしまった)。

彼らから発される音のすべてがあらゆる予定調和を、必然を、運命の存在を否定していた。完全な偶然の連鎖が、いまこの瞬間の持続だけがあった。だから、そこには失敗しかなく、また、音楽しかなかった。エフェクターを踏みつける音、マイクテスト、サックスから漏れる掠れた呼吸音、フィンガーノイズ、戯れに叩かれたフレット、拍手と歓声、となりで笑い声、うしろの話し声、ペットボトルが潰れる音、すべてがその場では音楽だった。導かれたさきは予期したような異世界ではなくて、あらゆる音が音楽に聴こえる「この瞬間の生」だった。終わってから足が震えていた。

それから、すべてが「この瞬間の生」として認識された。ライブ後の心地よいざわめき、帰りに食べた「かつや」の店員のことば、打ち込むレジの音、駅のホームで長くまのびて反響する電子音、買ったレコードの袋が擦れる音、電車が発する音のすべて(頭の骨を電車の内壁に押し付けると、電車が夜の外気と高速で触れ合う音がする)。ふと見えた御茶ノ水駅のホームの天井からぶら下がるコードのようなものの造形がひとつの芸術作品に見える。足元の点字ブロックの黄色が光っている。その凹凸を感じる。アスリートがゾーンに入ったときのような集中。世界のあらゆるイメージが言葉の網目から溶けて溢れ出して、通常の意味のほうがノイズになり、すべてのノイズが意味になった。そういう認識のしかたを教えてもらった。

あらかじめ結論めいたことを述べてしまうなら、2022年11月のFRUEの体験も、この感触をたどるその先にある。けれど、その感触はより深く、強くなった。つまり、「通常の意味のほうがノイズになり、すべてのノイズが意味になる」ような認識、あるいはそういった体感をひらくための実験室、あるいは訓練所、いや、そこにはなにも強制するものはないのだから、もっとストリクトに、自由な〈図書室〉のような空間としてのFRUE。(そこでわたしが欲するなら)わたしを世界に溶かして、それから再構成されるような(そのように応じてくれるような)空間としてのFRUE。そう、FRUEはわたしが新しいわたしになるための、真に自由になるための空間だった。

* * *

夜のむこう、淡く滲みひかるお祭りからきこえくるお囃子の淵(ふち)をなくした遠鳴り。体育館の構造に反響しながら外壁を伝って廊下までもれくる、後夜祭のバンド演奏のくぐもった残響。そこへむかう足どりと高揚。友達7人で訪れたFESTIVAL de FRUE 2022のはじめの印象はそんな感じだった。空は快晴で、空気も澄んでいた。森林のなかにいるようなロケーションが心地いい。会場に近づくにつれ、遠くで歪むギターの音がどんどん大きくなる。会場の入口の手前の広場にたくさんの出店がならんでいた。レアなレコードを置いているお店、味のある古着屋、みたことのない楽器。友達の到着を待っていたのか、ただ楽しかったのか、なぜか忘れてしまったけれど、かなり長らくここで過ごしてしまった。そろそろ行こう、また後で戻って来れるのだし。会場に入るとすぐFRUEデザインのカラフルなカーテンの下に、色々の国の料理のお店がならんでいる。全部うまそう。なんか食べる?  そうだね、ひとまず俺はあそこに並んでくるわ。わかった、じゃあ俺らは先にライブみてるね。はーい。美味しそうな屋台を横目に、FRUEデザインのカーテンをくぐるとTheHallがある。遠くから聞こてきていたのは The Hatch の演奏だった。これは最高の二日になるだろうと確信した。

1. Takuro Okada

そもそも私はライブが好きではない。いわんやフェスをや。聴くことに集中できないからだ。ずっと立っていると疲れる。ひとごみが苦手で、周囲のひとを意識してしまう。後ろのひとの邪魔になっていないかな、など気になってしまう(かねてからライブ会場は背の比較的低いひとのことをもっと考えて設計してくれよと思っている。こうした設計も明確にマイノリティの存在を軽視することと関係していると思う)。けれど、この点でFRUEは、かなりクリアしている。とにかく座るところがたくさんある。後ろの方に座ってもバッチリ見えるし、バッチリ聞こえる。ひとの流動性が高く、人口密度がそこまで高くないから最前列に行こうと思えばけっこう簡単に行ける。めちゃくちゃ快適だ。

いいライブを体験すると、その場で創造性が掻き立てられ、自分がなにかつくりたくなってしまう。自分で音楽を作りたいと強く思う場合もある(なんで私はいまステージにいないんだ!と思うこともある)が、そうでない場合には、音によって脳がハックされる。音がさまざまなメタファーを呼び寄せ、視覚的なイメージや思考が脳内で連鎖してしまう。Takuro Okadaさんのライブも私にとって、ひとつづきのメタファーを呼び寄せるものだった。FRUEだから特にそうしているのか、近年のOkadaさんのスタイルなのか、わからないけれど、ほとんどアンビエントだった。アンビエントは抽象的なものとして語られることもあるけれど、実際には真逆で、強く、具象的であると思う。アンビエント・ミュージックとは、音から喚起され皮膚にふれてくるすべて––––頬にあたる風、葉の擦れあう質感、裸足で感じる砂の肌理、潮風の匂い、懐かしい空気、あのひとの面影、知らない街、知らない言語、夢の場所、ある早朝の気分、ある期待、ある喪失、温度、湿度、その微細な変化。それらがすべて私の体内に浸透する。イメージを湧き立てる。体そのものが呼吸する。ノイズ・ミュージックやアンビエント(に実はかぎらないのだけれど)の最もよい聴き方は鳴っているなかでもっとも幽かな、小さな音をみつけて、そこに意識をフォーカスすることだと思う。普段ならノイズとして聴き逃してしまう、あらかじめ存在しなかったものとされてしまう、もっとも小さいもの、その存在可能性の復権の試みとしてのアンビエント。「音、沈黙と測りあえるほどに」(武満徹)。

14:00、この日とらわれたイメージ。まず、水の滴りがある(じっさいに水音がしていたと思う)。それがいつか流れ出していく。まばゆい光を反射して、白銀のせせらぎとなる。その川が反射する光の無限のパターンがなにか生き物の鱗のように変わる。一五分くらいの曲だったろうか。いずれ、ぱちぱちと音を立てながら急流になる、わたしの内蔵に流れ出す。どうなっているのだろうと思って、プレイヤーたちの手元をみるけれど、どこからなにが鳴っているかわからない。それから、水に反射して眼のように見える、夜の月。風が吹く、水面のゆらぎとともに、波立つ月のさまざまな姿、海の向こうへと消えていくその月の無数のめぐり(「Moons」)。時間とともに、過ぎ去らぬものはなく、そう思えば、音楽は美しく消滅していくための技藝であると思った。気づけば森のなかにいた。森は深く地下水を溜める。そこに空洞があり、誰も知らない音楽を奏でている。あらゆる水の場面のモンタージュが見えてくる。タルコフスキーの『ストーカー』のような。

終わりに、水は蒸発して昇っていく。しかし「はらいそ」(細野晴臣)のような急な昇天ではなく、緩やかに浮遊して雲になっていく。ある講演で詩人の吉増剛造は「詩人は、水を持ち上げようとするのですよ」と語っていた。ポール・ヴァレリーは「地中海はいつか垂直に流れだす」と書き、李白は「孤帆の遠影碧空に尽き / 惟見る長江の天際に流るるを」と詠んだ。天から降り注ぎ、流れくだった水を、言葉の呪力により重力に逆らって浮上させんとする不思議、奇跡、その美。不可逆なもの、必然への抵抗。メタファーによって天と渡り合おうとする詩人の傲り、あるいは奢り––––アルチュール・ランボーやルネ・シェレールは詩こそ光源であるために、太陽を撃ち落とそうとした(Armand Hammerでbilly woodsの相方であるE L U C I Dは You won’t gun downthe sun, I done told you againと戒めていたものの)。
しかしそこには天使たちがいるかもしれない。リルケの「ドゥイノの悲歌」の第一の悲歌の天使のすがたが見えたような気がした。瞬間、怖ろしい感覚にとらわれた。

(...)よし天使の序列につらなるひとりが
不意にわたしを抱きしめることがあろうとも、わたしはその
より烈しい存在に焼かれてほろびるであろう。なぜなら美は
怖るべきものの始めにほかならぬのだから。われわれが、かろうじてそれに堪え、
嘆賞の声をあげるのも、それは美がわれわれを微塵にくだくことを
とるに足らぬこととしているからだ。すべての天使はおそろしい。
(手塚富雄訳)

でも、それは気のせいで、水は天使を素通りして、ただ蒸発して雲になる。岡田さんは、傲れる詩人たちとは異なり、音で自然を描き出すことで、必然に逆らうことなく水を持ち上げている、と思った。

2.Grass Stage

Okadaさんの演奏で感覚を研ぎ澄まされすぎて疲れてしまったので、The Hallのちょっと後ろの方の席に座り(大事だからもう一度書くけれど、FRUEの最大の魅力のひとつはゆったり座りながら音楽が聴ける場所がたくさんあること!)、Sam Amidon & Stringsを聴きながら最高のご飯を食べた(バターチキンが異次元に美味くて宇宙だった)。16:30頃、Grass Stageに向かう。木々に囲まれた舗道を(たぶん)五分くらい歩くと、ひらけた空間に出る。そこからまた少し小道をゆくと、大きなぼこぼこをもつ原っぱのなかに二つの大きなテントが見えてくる。ひとつ目の大きなテントから、心地よいリズムと心臓まで響く低音が鳴っていて、そのまわりで、たくさんの人が踊っている(このときsuimin.さんがDJをしていた)。ふたつ目のテントは売店になっていて、お酒やコーヒーなんかを買える。それからその二つの大きなテントの奥にさらに無数のカラフルなテントがある(自分でテントを持ってきて寝泊まりすることもできるらしい、最高かよ)。

私は少し眠たかったので、コーヒーを飲みながらテントのわきにある小山に寝そべって踊る人々を眺めていた。酒瓶を片手に横にゆっくりと揺れているひと。最前でうつむきながら全身でリズムをとるひと。目をつむりながら優しくたたずむひと。首を揺らしながら体育座りで談笑しているひと。それから、楽しそうに走りまわる子どもたち。FRUEではThe HallでもGrass Stageでも、とにかく楽しそうに燥ぐ子どもが多いことが目立つ。小学生以下は無料とのこと。なんて素晴らしい教育だろう。なんて自由な空間だろう、と思った。人間はいつの時代も自由なのだということを体現する人たちがここにいる、と思った。なにも強制しない、誰もおいてけぼりにしない、一時的な避難所(アジール)のような空間––––FRUEというイベント自体がそうした空間をひらくための試み、空間の藝術なのだと思った。短く、厳しい生ですから、よければ踊っていってください、というような。
秋空に月が見えていた。The Hallにもどる途中、子どもが大声で「わたしの家の名前は、もちろんハウス!」としきりに叫んでいた。

3. 折坂悠太

18:00、初日の夕暮れ。このとき、けっこう寒かったのを覚えている。今年は異常に暖かいとの予報だが、夜はどうか。寒暖差がはげしいかもしれないし、それなりの防寒があるとよいかもしれない(近くのホテルのロッカーも使える)。温かいペルーヌードルをすすりながら後ろの席に座って待っていると、じきに折坂さんのライブがはじまった。

折坂さんの歌はアルバム『平成』が出たときからずっと好きで、いま、日本の歌い手で一番魅力あるひとだと思っていたけれど、『平成』は見事な一時代へのレクイエムになっている。なかでも「さみしさ」に歌われる「高波に読ませて言うだろう / 長くかかったね覚えてる」というフレーズには、歌によって歴史の風雨に抗し、忘却に抗して記憶を伝えようとする強い意志を感じて聴きながら、東日本大震災に想いをよせて、何度も部屋でひとり涙を流した(もしかしたら、3.11を歌ったものではないかもしれない、しかし、さまざまな感情移入のしかたが可能であることが民衆のための歌の、すなわちポップスの条件ではないだろうか。たしか折坂さんは民謡をつくりたいと語っていた)。このように時代精神を歌うひとが現れたのは日本にとって幸福なことだと考えていた。彼が民謡をつくりたいと語っているのも納得感がある。

ライブについては、YouTube越しに見る弾き語りですでに成立しきっているのに、重奏である必要があるのだろうか、とはじまる前は思っていた(すいません)。けれど、はじまってみると、旅する楽団のような、少人数のパレードのような、折坂さんの歌に合わせて行進するイメージの舞台設定が重奏によって整えられて、その上に、力強い折坂さんの歌がしっかりと通ってきて、アルバムを聴くだけではわからなかった『心理』収録曲の試みがようやくつかめたような気がした。「炎」を聞いたあたりですでに胸いっぱいという感じだったのだけれど、そのあとで「さみしさ」を歌われて、そこでやはり涙してしまった。今日一日をふりかえりながら、ああ、よかった、間に合った。人間にはこういうことができるんだ。こういう音楽を生み出すところまで、生き延びたのだ、と思った。そして同時に、なぜ、こんなにも素晴らしい音楽に満ちているのに、ひとは殺し合うのだろうという恥ずかしいくらい単純な問いにとらわれた。なぜ、こうして音楽を生み出す可能性のあるひとたちを、こうした音楽を愉しむことのできる可能性のあるひとたちの存在をなかったことにするのか。人間は音楽をこれほどまで愉しむことができる唯一の存在であるのに。こうして美しい音楽を聴いて、ひとはひとを傷つけたいと思うだろうか。それで、ただ多くの人にFRUEを体験してほしいという願いが生じた。

4. Pino Palladino and Blake Mills featuring Sam Gendel & Abe Rounds

(このライブの前にbilly woodsのライブがあり、何度もこれについて書こうとしたのだが、このライブについて語る技量がないため、割愛させていただく。ただ、billy woodsとPino & Blakeを、続けて観ることができるのはたぶん日本で、いや世界で、FRUEだけだろうということは書いておきたい。ブッキングのセンスよ。あと、The Hallも予想以上に低音がブリブリに出ていてバッチリHipHopのライブになっていた。できればまたFRUEでbilly woodsに会いたい。友人のKはこのライブを見て、「俺ラッパーになる!」と叫んでいた)

21:50。それにしても、このPino Palladino andBlake Millsのライブが、あの二日間で、もっとも強度の高いライブであったと言ってもあまり異論が起こらないと思う。セッションのレベルが異次元すぎて、たぶん静岡県掛川市満水2000一帯で時空が三回転半くらい歪んでいただろう。グルーヴのトリプル・アクセル。そこに巻き込みを食らって、時間が飛んでしまったので、正直、細かいことはあまり思い出せない。グルーヴの本質は基本的に引っ張るような感覚で、その長短に特徴があると思う。より精密に言えば、鳴っていない部分のリズムを感知させるようなリズムがグルーヴと言えるだろう。つまり、音それ自体ではなく、その間隙の、沈黙の部分に意識を向けさせるようなリズムやメロディの構成こそがグルーヴであろう(例えば、スネアだけ少しハシることでジャストを裏拍のように感知させ、弓のようなしなり感をつくり、スネアの音で弾かれた直後にすぐバスドラにまた弾んで、鳴っていない部分で体が乱反射していくようなイメージ)。こうしたグルーヴによる無音の中の乱反射のグリッド(肌理)が異次元に細かいと、逆にスローになるような感覚––––ボブ・マーリーの不自然にスローモーションに見える、あの動きのような感覚––––に入る。その密度によって全身がありえないかたちでスローに捩れながら時空の歪みに巻き込まれていく。

たしかに、グルーヴはダンス・ミュージックのそれだった。このグルーヴの骨格を成すのは間違いなくPino Palladino成分だと思う。さらにAbe RoundsがそのPinoの骨格に肉を与えながら、反射鏡を増やしていた。が、それだけではなかった。その細かいグリッドのグルーヴのまわりを、さらに無限に細かいグリッドのアンビエンスが漂っているのだ。こちらはBlake Mills成分かもしれない。アルバム『Notes WithAttachments』を聴いていて、グルーヴと同じくきわだっていたのはこのアンビエントの要素だった。日常のバック・グラウンド・ミュージックにもなりうるくらいに、あたりまえに、まるで沈黙のようにそこに存在しながら、こちらのスイッチを切り替えて、こちらから働きかければ、バチバチに踊ることもできるような、アンビバレンス、反対物の一致。三角でありながら円であるような図形––––そしてひと息にその完成されたデッサンに配色をほどこしていくSam Gendelのサクソフォーン.......。

全員が調和しているのでも、対立しているのでもない。それぞれがとてつもなく隔たった孤高の存在でありながら、しかも、その差異を認め合っているような感覚。星と星ほど離れているのに、そのあいだの虚無を、沈黙を、グルーヴとアンビエンスで埋め尽くしながら、無限のパターンの星座を見せるような、魔術。もう魔術としか言いようがなかった。二度と見られないかもしれない伝説的な機会に巡り合ってしまった。

帰り道––––ひとつの注意書き

ここで、帰りのバスについて、ひとつ注意を書いておきたい。
わたしたちは、初日に帰りのバスがどこから出ているのかわからず、会場出口にいたFRUEスタッフに尋ねた。えと、掛川までの帰りのバスってどこから乗れますか? スタッフのひとは少し不安げな顔で、地図を指差して、ええとこのあたりだと思いますよ、と教えてくれた。あ、けっこう歩くんですね、ありがとうございます。でも、本当かな、こんなに遠いのかな、でも風も気持ちいいし、みんなでナイトウォークだ。と、こんな感じで、少し戸惑いながらも夜道を歩きはじめた。あ、大丈夫だ、こっちに向かっているひといるね。ほんとだ。それからは、初日のFRUEの話でもちきりだった。友人のSはブレイク・ミルズと写真を撮れたことでホクホクだった。最後のライブは魔術のようだったねと話した。また普段はあまり音楽を熱心に聴くほうではなく、僕と同じくフェスへの参加もはじめてだったMに、今日はどうだった? と聞いたら、少しためてから、「んとね、人生が変わった」と呟いた。いやあ、それくらいの体験させてもらったよなあ、とか話しながら15分くらい歩いただろうか。バス停らしき場所にたどり着いた。そこはなんだかアメリカの郊外の駐車場のような風景で、ジョーダン・ピールのホラー映画ような世界観だった。バス停の前にに少しひとだかりができていいた。え、ここでいいんですよね。はい、ここって言われました。でも、バスが来る気配がないんですよ。そうですね。なにをみてここに来たんですか。出口のスタッフのひとに言われて......。あ、僕たちもそうです。じゃあ、大丈夫だ。待ってみましょう。それからさらに15分以上経ったと思う。次々と後ろからバスを目指して人がやってくる。それでもバスはこない。これはおかしいですね。うん、もしかして誤誘導されたのかもしれない。いや、だって到着のはずの時間を過ぎてもバスは来る気配もないし.......。わー、これはやられましたね。ほんとですね。はははは。そこには見ず知らずの人たちとの、謎の連帯感が生まれていた。いやピノとブレイク・ミルズすごかったですね。本当ですよね.......あ、こっちじゃないです、ここにバスはこないみたいです。みんなでいま、戻っています。そうやってあとから来る人たちに声をかけながら夜道を戻る。疲れもあったと思うが、歩くにつれてみな無口になっていき、さっき生まれた謎の連帯感は初めからなかったかのように、わたしたちはおのおのの歩みに集中していた。向こうから大型車が来る。すいません、スタッフが誤誘導したみたいで、こちらの車に乗ってください、入り口までお送りします、でも、人数に限りがあるので.......。ほとんどそれを無視してフラフラしている人、われ先にと車に乗る人、それを傍観するようにみている私。なんだか、クライストの『チリの地震』みたいだね、と話し合った。ナイトウォークは気持ちよかったし、不思議な気持ちにもなれたので、結果オーライだけれど、みなさんお気をつけください。今年はどうかわからないけれど、バスは近くのホテルの前あたりに来ています。

5. ふたたびGrass Stage

二日目はぼやっとしていた。前日の帰りが遅くなってしまったのと、一日目でテンションを使い果たしてしまったのだ(次回は注意しよう)。すでに夢の後という感じで、日中は長らくGrass Stageでごろごろしていた。気づいたのは、味覚の感度がものすごいことになっていること(朝、1日目だけで帰る友人を見送りながら食べたコメダコーヒーのパンのうまみが思い出される)。12:00すぎ、Whatever The Weatherさんのプレイを聴きながら、くものかたちをみて、運動靴の足跡みたいだと思った。おじさんがとなりの小山の頂上に寝椅子をひろげて昼寝していた。私も心地よくてコーヒーを啜りながらうとうとした。

あれはちょうどPowderさんがDJをしていたときだと思う。喫煙所で、長年会っていなかったOにたまたま出会した(正確に言えば、遠くから見えていたのだけれど、気まずいので気づかれないようにしていた)。Oとは、むかし社会運動のようなことを一緒にやっていた仲で、いろんなことをきっかけに疎遠になっていた。久しぶりに話をして、まあ、あまり変わりがないけれど、遠くで連帯できればいいか、くらいに思った。しかし同時に、この国の衰退を思って、バッドに入った(ちなみにO以外にも旧知の多くの知り合いと再会することができた。来年もみんないるだろうか)。

バッドになりながらふらふらと友人のひとりをバスまで見送り、The Hallに戻ろうとしていたら、目の前から、Sam Wilkesらしき人物が歩いてくる。いや、あれば間違いなくSam Wilkesだ。たぶん、むこうが立ち止まっていて、それを見つけただけだったら声をかけなかっただろうと思う。でも、このたび、世界でもっとも敬愛している音楽家のひとり目の前からこちらへ、こちらからそちらへ、向かってくる、向かっている、のだ。こりゃもう話しかけてみるしかない、ということになった。ハ、ハイ。と声をかけると、顔をくしゃっとさせて笑いながら、ハイ、と近づいてきてくれた。「こないだの六月のプレイを聴いて、ベース買いました」。すると、顔をさらにくしゃくしゃと中央に集めながら笑顔で「いいね、フェンダー?」と尋ねられたので、「もちろん」と答えた。写真も一緒に撮ってくれた。あまりに好きすぎてこちらの笑顔と鼻息はだいぶやばかったと思うが、マジでめちゃくちゃ嬉しかった。私もがんばろうと思った。

6. Sam Wilkes Quintet featuring : Chris Fishman, Craig Weinrib, Dylan Day, & Thom Gill

2日目、18:40。今年のFESTIVAL de FRUE 2022で感じたこと、考えたこと––––通常の意味のほうがノイズになり、すべてのノイズが意味になるような認識、その体感の深化、あらかじめ存在しなかったものとされてしまうほどに幽かなものの存在可能性の復権の試みとしてのアンビエント、終わることを可能な限り拒みながら美しく終わっていくための技藝としての音楽、お互いの差異そのものを認め合うようなセッション、人間はいつの時代も自由なのだということを体現する人々との共同感覚、そして、なにも強制せず誰もおいてけぼりにしない一時的な避難所(アジール)のような空間藝術としてのFRUE、この、人間のひとつの到達点。これらすべての感覚と思考との集大成のような音楽––––それが、Sam Wilkes Quintetだった。

二日間の疲れが心地よくも集積していたために、文字どおり、夢ごこちでわたしはThe Hallの最前列に佇んでいた。どこまでも微分的に、あらゆるノイズを沈黙から音に、音から音楽にして、世界は神秘に満ち溢れていることを体験させてくれる演奏。それは、終わりなきエンディング・テーマであり、また、アンチ・クライマックスだった。ひとは、ラストに向かって盛り上がっていく、猛々しく華々しいクライマックスの高揚にさらわれやすい。それはある種の強烈な誘惑、ともすればある方向へとひとを強制する危険なしかけともなりうる。しかし、最初から最後までエンディング・テーマ、はじめからおわりまでクライマックスであるとすれば、それは神話的な冒険の結末に騎士が宿敵を打ち倒した後の祝杯ではなく、なんでもない日常の連続––––昼に目覚めた部屋に差し込む陽のまばゆさ、仕事帰りの夜道の澄んだ空気、ガラス戸の向こうに揺れる洗濯物の匂い、愛するひとたちの声、寝息––––とその微細な移りゆき、あるいはゆっくりと進むこの消失を、美しく肯定するためのララバイとなる。Sam WilkesQuintetは、たしかにフェードアウトしながら、グリッドを無限に細かくしながら、FESTIVAL de FRUE 2022という終わりある線分を永遠へと引き伸ばそうとしていた。

ふと、わたしのいちばん好きな曲のメロディが聴こえてきた。『Wilkes』に収録された「Descending」だった。夜夜、幾度も聴いてきたから、メロディだけで原曲で反復されるシンプルな詩が脳内に響いた。

I love you. I always love you. Won’t stop dreaming.
私はあなたを愛してる、いつも。夢みるのを止められない。

このとき、はっとした。この詩をこう理解したら、不完全であろうことに気づいた。じつのところ、この詩は途中でぶつ切れになっていて、この詩を二小節ずつ、はじまりから正確に書き起こすなら、こうなる。

dreaming. I / love you. I always love you. Won’t stop
夢をみるのを 私は / あなたを愛している、いつも。終われない

小節の終わりに「終われない(Won’t stop)」と歌われて、文字どおりまた、小節がはじまる。また夢を見はじめる。あなたを愛している、いつも。終われない、この反復。そうしてFESTIVAL deFRUE 2022は最後まで降下(Descending)しつつ、終わりを拒んでいた。