Hermeto Pascoal Bio

ブラジル音楽界が誇る「無形文化財」エルメート・パスコアール。エルメートといえば、10数年前までは、水入りのヤカンで、ブクブクとやるお馴染みのパフォーマンスや、鳥、豚の鳴き声、鍾乳洞での残響をつかったプレイ、蝶の舞うジャングルの池で木製の笛を吹く姿など、ビックリ・パフォーマンス映像と共に「奇抜性」ばかりがフォーカスされる、いわばUMA的な存在だった。

そんな「知る人ぞ知る存在」も、2000年代以降の4度の来日によって、ピアノ、フルート、さらには様々な打楽器をマルチにこなす演奏家としての高い能力や、ブラジルの土着や宗教儀式にも似た神々しい音楽性など、実体験としてのエルメート=「現世の生きる伝説」の凄さを実感した人も多いだろう。

1936年6月22日、アラゴアス州アラピラカ郡ラゴア・ダ・カノア出身。幼少から電気などのインフラが行き届かない大自然の中で育ったエルメートは、木製のフルートやカボチャで作ったパイプなどお手製楽器を手にし、湖の水の音、鍛冶屋である祖父の金属音などあらゆる音に対してインスピレーションを得るという生活の中で、徐々に音楽家としての才覚を形成して行くことになる。祭りのバンドネオン奏者だった父親の影響から、7.8歳でアコーディオンを始め、同時にフルート、タンボリンなど多彩な楽器を習得。兄のホセ・ネートと共に結婚式や様々な祭りでバンド演奏を行った。

ブラジル北東部という彼の育った地域風土も彼の音楽性を形成する要素だ。16世紀以降、ヨーロッパ、アフリカ、アラブといった移り住んだ人種と、土着のインディオの音楽文化が深く影響を及ぼす地域で、特にリズムなどの雑多な交配から生まれる豊かな音楽性は、これまで長らく「複雑で難解」で片付けられて来たスタイルの原点といえる。

14歳の時に北東部の大都市レシフェに移住。ピアノ奏者としてラジオ局の専属やクラブでの活動で才能を発揮すると、さらにキャリアを拡大するために、若くしてリオ・デ・ジャネイロやサンパウロといった大都市へと進出。60年代に入るとアメリカのジャズなどを演奏し始めた。ブラジル音楽史に彼の名が最初に刻まれたのは、1966年にパーカッション奏者アイアート・モレイラらと結成したカルテット、クアルテート・ノーヴォでの活動だ。テレビ番組用のユニットだったがボサ・ノヴァ以降の過渡期にジャズとブラジル音楽の融合を目指した。67年に発表したセルフタイトルの作品は、現在こそ正当な評価を得ているが、本格的にその才能を世の中が発見したのは1970年代に入ってからだった。

先に渡米していた盟友、アイアートなどの交友から、1969年マイルス・デイヴィスの作品に参加。フュージョン/エレクトリック・エラに突入したマイルスのグループにアレンジャー/作曲者として参加したエルメートはライヴ・アルバム『ライヴ・イヴィル』に「NemUm Talvez」と「Igrejinha(Little Church)」の2曲を提供。

これを切っ掛けにインターナショナルな名声を得ることになったエルメートは、初リーダ作『エルメート』(1970)などのソロキャリアを経て、ブラジリアン・ジャズ・フュージョンと形容されるスタイルを確立した『スレイヴス・マス』(1977)を発表する。

当時流行のジャズ/フュージョンのフォーマットに、タイトルに垣間見えるブラジルの祭りや宗教的な儀式に根ざしたリズムやハーモニー、プログレッシブ・ロックなどとの共通点が語られる事の多い変拍子、そしてトレードマークにもなった動物の鳴き声などを加えた奇妙な世界観を確立。

その後もオーケストレーション、ピアノ・ソロなど様々な切り口のアルバムを含め70年代から.2000年代まで、2.3年に1枚というペースで作品を発表し続けたが、多重録音を駆使し実験性を高めた中では、グルッポ(グループ)としての頂点といえる『神々の祭り』(1992)や、20種類とも60種類とも言われる楽器を一人で演奏し制作し名作の誉れ高い『エウ・エ・エレス』(1999)などが挙げられる。

2006年以降は、妻のアリーネ・モレーナとの連名でのレコーディング作品をゆったりとしたペースで発表しつつも、グルーポでのライヴ活動を精力的に継続中。80歳になった現在でも、演奏家として進歩の過程にあり、世界最高レベルの集団グルッポを統率するバンドリーダーである。

2017年には3枚のアルバムをリリースし、15年ぶりの新作『No Mundo Dos Sons(In The World Of Sounds)』、全宇宙が驚愕した1976年の未発表スタジオ・セッション『VIAJANDO COM O SOM(TRAVELING WITH THE SOUND)』、ビッグバンドとして新作『NATUREZA UNIVERSAL(NATURE UNIVERSAL)』をリリース。(text by Hideki Hayasaka)